ふれあい那須塩原
地域住民や地域の多様な主体が参画し、世代分野を超えてつながりを創る
「地域共生社会」の実現に向けた地域づくりの活動です。
黒磯で始まった、「ふれあい広場」と西那須野町で始まった「産業文化祭」が合わさり、「オール那須塩原」の思いで全市を巻き込んだ共生社会を目指す地域福祉活動となりました。
黒磯で始まった、「ふれあい広場」と西那須野町で始まった「産業文化祭」が合わさり、「オール那須塩原」の思いで全市を巻き込んだ共生社会を目指す地域福祉活動となりました。
1981年(昭和56年) | 黒磯小学校校庭を舞台に第1回ふれあい広場が始まる。「ハンディを持つ人々、持たない人々が、一堂に会して相互理解を深める」ことを目的に、ボランティア連絡協議会・青年団・身体障害者福祉会など、20~30団体の協力を得て開催。それから毎年開催され、第5回(昭和60年)からは黒磯公園に場所を移し、福祉に関する意識が高まり、地域福祉計画やボランティア活動推進、高校生ボランティア「とんぼの会」結成にも繋がった。 |
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第10回(平成2年)を迎える頃には「出会い・ふれあい・共感」というテーマ掲げられ、子どもからお年寄り、障害を持った方も持たない方も、一緒に出かけようという共生社会へ大きな一歩を踏み出すことになる。同時にふれあい広場の参加団体が50団体を超え、来場者も10,000人を達成した。 | |
2005年(平成17年) | 黒磯市・西那須野町・塩原町が合併し、那須塩原市が誕生。2006年(平成18年)には「障害者自立支援法」が施行され、障害者を取り巻く環境が変遷する時期となった。2011年(平成23年)には東日本大震災が発生し、大きな問題や課題山積の中であったが、第31回ふれあい広場を開催し、54団体も参加し、震災復興へ向けて皆で手を取り合い、盛り上げた。 |
2020年(令和2年) | 新型コロナウイルス蔓延により市内イベントはすべて中止とせざるを得ない状況となり、その先の未来が暗くなるニュースが続いていた。その状況下においてもふれあい広場実行委員メンバーは動きを止めず、大切な繋がりを継続するため、カタチを変えていった。「HOP/- STEP/JUMP」というテーマを掲げ、ハートフルメッセージ企画、ビデオメッセージ企画、を経て、 2023年(令和5年)には3年ぶりとなるふれあい広場を開催した。 |
1948年(昭和23年) | 合併前の西那須野町において文化祭が始まる。 |
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1955年(昭和30年) | 11月、狩野村と合併後、第1回目の文化祭が行われた。 |
1962年(昭和37年) | 「産業文化祭」という名称に統一された。 以降、商工祭、教育祭、芸術祭、福祉祭、健康まつり、農業祭、生活環境祭、などが同時開催されるようになった。 |
2024年(令和6年) | 3月、産業文化祭(福祉祭)の実行委員会は解散となる。それらの意向を汲み、ふれあい那須塩原実行委員会へ一部メンバーが参画し、オール那須塩原での開催へ向けて準備を進めている。 |